森薫さん

大分県立森高等学校所属。2007年4月にマラヤ大学予備教育部日本特別コース(AAJ)に赴任。総務主任、数学を担当。

AAJで教鞭を取ることになったきっかけは何ですか?

AAJがあることは10年ほど前から知っていました。数学や化学、物理など「教科」を教える教師は、文部科学省から県を通じて各高校へ 募集があります。具体的な募集の仕方は、県によってそれぞれ違うようですが。私は大分県の高校で勤務していた時、募集要項が掲示されたものを見、化学の教 師を募集したものでしたが、数学の教師にも機会があることを知り、それ以来漠然とAAJで教えてみたいと思っていました。

AAJでの勤務を強く希望するようになったのは、それから4年後のことでした。当時私が担任をしていたクラスに、マレーシア人の学生が 1年間留学することになりました。彼は中国系で、マレー語、英語、中国語を話すことができたほか、日本語もどんどん上達していきました。複数の言語を駆使 し、多文化を体現しているかのような彼に、大きな驚きを感じ、深い感銘を受けました。彼は留学を終えて帰る時に、「また日本に来る!」と宣言し、その言葉 通り1年後に再会を果たしました。なんと彼はマレーシアに帰国後、日本語弁論大会に出場して見事優勝し、優勝賞品の日本行き航空券を勝ち取り、日本にやっ て来たのです。その航空券は、クアラルンプールと成田との往復だったはずなのですが、彼はわざわざ大分まで来てくれて、それで再会できたのです。本当に感 激しました。彼とは今でも連絡を取り合っていて、日本にインターンシップに行きたい、大学を卒業したら日本で就職したいと言っています。

マレーシアで教えたいという思いはますます強くなりましたが、どういうわけかその後数年間、募集要項を目にすることがありませんでし た。マレーシアに赴任する2年前に募集要項を目にしましたが、1年目は学校事情により許可が出ず、2年目にようやく許可が下りました。

マレーシアへの赴任が叶うまでは、行きたい!という気持ちで突っ走ってきましたが、実際に渡航する段階になって、日本からの移動に相当 の手間とお金がかかり、海外への赴任は簡単ではないことに初めて気づきました(笑)。家族の理解と支えに、本当に感謝しています。

また、このような機会を与えてくれた、校長先生をはじめ職場の皆さん、大分県教育委員会の方々に感謝をしています。


(授業風景)


(日本留学試験前のお祈り)

AAJで教える中で、気をつけていることは何ですか?

日本から派遣された教科の教師は、日本語で各科目を教えます。しかしその授業は、学生が日本語を半年間学んで基本的な日本語能力が備わ る10月から始まります。AAJの学生は、2年生の11月に行われる日本留学試験に全ての照準を合わせており、したがって教科の担当教師が学生を指導でき るのは実質1年となります。つまり、1年間で高校3年分の内容を教えなければなりません。

これはたいへんなことです。そのため、非常に細かく周到な授業計画が作成されています。日本の高校では学期ごとに大まかな授業計画を作 成しますが、ここでは1年間の全コマの授業計画が作成されていて、その通りに進まないと試験の範囲を教えきることができず、日本留学試験対策もできませ ん。1時間もムダにできないのです。最初の授業では、生徒とコミュニケーションを図るために自己紹介や柔らかい話をつい始めそうになるのですが、そんな時 間はありません。限られた時間の中で、より効果的な授業内容、課題の作成に気を使っています。

1年間で日本の高校3年分を学ぶとは!たいへんなハードスケジュールですね。

日本留学試験の数学は、センター試験程度の内容ですが、教科によってはそれより難しいものもあるようです。また年々問題が難しくなって いるように感じています。AAJの学生の習得度は、日本留学試験の点数だけ見ると、国公立大に入学するレベルよりは若干低いと感じますが、日本語による試 験であるということと、1年間で高校3年分を学習することを考えると、学生の能力はむしろ高いと言えると思います。

AAJの日本留学基準として日本留学試験を導入して、2009年度で3年目となります。これを一区切りとして、AAJの日本留学基準を再検討することに なっていますが、日本留学試験で結果をだすためにはハードなスケジュールをクリアするしかありません。AAJの学生ならきっとクリアできると信じていま す。

AAJの卒業記念文集に、「ここでの生活は苦しかった、人間らしい生活がしたい」といったことを書く学生も大勢います。でも、苦しさの 先には楽しいことが待っていることを学生たちに伝えながら、一緒に乗り越えて行こうと励ましています。

そんなたいへんな状況を乗り切った学生たちが、いよいよ日本に渡航しますね。

マレーシアの学生は、日本の学生生活にすぐには馴染めないかもしれません。日本人や日本社会との間に、垣根のようなものを感じるかも知 れません。その垣根を失くすようがんばって欲しいです。

他方で、その垣根がなくなるかどうかは、彼らを受け入れる日本人の側にもかかっています。マレーシアの学生がどういう思いで日本に留学 しているのかを知ることが、日本人の側の垣根を失くす上で重要なのだろうと思います。だから日本の皆様には、日本留学を目指して毎日朝8時から夕方6時ま で必死に日本語を学び、日本語で理数系科目の授業を受け、寮に戻ってからも4~5時間を予習・復習にあてるというたいへんな努力をしている学生が、マレー シアにいることをまず知っていただけたらと思います。

日本人は日本にいる限り、異質な文化的背景を持つ人たちと交わる機会があまりありません。でも一歩日本を出ると、そこはもう多文化社会 です。そして日本社会にも、世界の様々な地域から様々な文化的背景を持つ人たちを受け入れ、共に暮らしていく状況が徐々に起こりつつあります。日本人はマ レーシア人の学生との交流を通じて、多文化社会のあり方に慣れていけるのではないかと思います。

垣根を取っ払った上で、日本人とマレーシア人の学生がお互いに切磋琢磨してくれたら、最も理想的だなと思います。私は日本を発つ時、指 導していた学生に対して「これからマレーシアで教えてくる。私がマレーシアで教えた学生が大学に入学するのは、君たちが大学に入学するのと同じ時期だ。お 互いにぜひ競争して欲しい」と伝えました。助け合いながらも競争しつつ、お互いに自分自身を高めて行って欲しいです。

 

(インタビュー日:2009年2月5日)