ムハマド・ナズルル・ナナ・クリザンさん (Mr. Muhammad Nazrul Bin Nana Khurizan)

2001年4月にマラヤ大学予備教育部日本留学特別コース(AAJ)に入学(第20期生)。2003年4月に宮崎大学工学部に入 学、機械システム工学を学ぶ。2007年6月からAAJで日本語教師として勤務。

ナズルルさんがAAJで日本語の先生になったきっかけは何ですか?


(AAJの教え子たちと)

私は工学を学びましたが、実はエンジニアにはなりたくなかったのです。日本留学から帰って、どういう仕事をしようかと考えていたところ に、AAJの同期生からAAJで日本語教師を募集していることを知り、応募しました。日本語の能力を見る試験や面接を経て、採用されました。その後 1~2ヶ月間、日本語教師としての研修を受けました。研修はたいへんでしたが、日本語を教えた経験が全くなかったので、研修を通じていろいろと学び知るこ とができてよかったです。

学生と年齢が近いからか、学生は私に質問をしやすいようで、実に様々な質問をしてきます。時には物理についての質問もあります(笑)。 AAJでの勉強も日本での留学も経験しているので、アドバイスできることも多く、自分の経験を学生たちに伝えたいと思っています。

高校生の時に、教師はいい仕事だと思ったことがあります。「日本語の」教師になった理由は…それは日本語がとても大好きだからです。大 学を卒業しても、日本語と離れたくないという気持ちが強くありました。日本語は美しいと思います。

どの辺りに美しさを感じるのでしょうか?

考えや思いが、非常に直接的に、心に奥深くまで入ってくる感じがするのです。うーん…どう言えばいいのか分からないのですが、いつもそ う感じています。私は日本の漫画が大好きで、『NARUTO』や『BLEACH』が特に大好きなのですが、日本の漫画を日本語で読むのと、マレー語や英語 の翻訳で読むのとでは、心に入ってくる気持ちの量が全然違います。

それはきっと、日本語の性格というよりは、ナズルルさんがそこまでどっぷりと漫画の世界 に浸れるほど、日本語を深く理解していて、日本語の表現に慣れ親しんでいるということではないでしょうか?

うーん…そうかもしれませんが…そうなのかなあ…。日本語は特に心に入ってくる言語だと感じるのですが…。まあでも、私は漫画を読んだ りアニメを見たりする中で、日本語を勉強したとも言えます。アニメをただ漠然と見るのではなく、DVDなどで見るときは、分からない表現があったらそこで 一度画面を止めて、辞書で日本語の意味を調べて、それを覚えて実際に使ってみるということをしていました。

日本での大学生活はいかがでしたか?

1年生の時と3年生の時がたいへんでした。1年生の時は、日本の生活に慣れるのがたいへんでした。授業についていくのもたいへんでし た。授業の日本語は分からないし、板書の字は分かりにくいし。でもそれも3ヶ月くらいで慣れました。3年生の時は、専門科目が増えたため、授業についてい くのがたいへんでした。

アルバイトも経験しました。とても楽しかったです。閉店後のスーパーを清掃するアルバイトをしました。責任者がとてもよい人で、時々ご 飯をおごってくれ、私がマレーシアに帰ることをとても寂しがってくれました。その人とは今でもメールで連絡を取り合っています。また、アルバイトを通じて 宮崎弁も学びました。大学には全国から学生が来ているので、ほぼ標準語が使われていたのですが、アルバイトは地元の人がほとんどで、宮崎弁で話す人が多 かったです。


(上野公園)

(アルバイト風景)

(宮崎大学留学生スポーツ大会)

(飲み会)

学生に一言。

途中であきらめることなく、最後までがんばって勉強してください。終わったら日本が待っています。でもそこからが闘いです。

あ、あの、「闘い」って…さらにたいへんそうなことが待っているみたいで、あまり励まし になっていない気がするのですが…。

はは(笑)。闘いとは、人間としての成長という意味での闘いです。AAJの勉強とは違って、答えは一つではありません。答えを探す道筋 も、自分で探さなくてはなりません。でもだからこそ楽しいのだと思います。そういう楽しさや面白さが、日本で待っています。


(卒業式:フォーマル編)

(卒業式:インフォーマル編)
(インタビュー日:2009年2月5日)