マレーシアのみなさんに聞いてみました(インタビュー) #1
令和4年3月8日


最初は英国またはニュージーランドに留学をするつもりだった
「小さい頃から動物が大好きだったということもあり、大学進学を考えたときに生物学やバイオテクノロジーを、できれば、自然豊かな英国やニュージーランドといった海外の大学で勉強したいと思っていました。英国は、生まれてから5歳までを過ごした国でもあります。
奨学金を申請する中で、通っていた高校の先生から日本で勉強をする、という選択肢を教えてもらいました。日本という国は知っていましたが、日本で勉強するということは考えたこともありませんでした。
色々考えた結果、日本の大学に進学することにしました。日本にも美しい自然があり、四季もある。自分が勉強したい内容が存分に勉強できる良い大学もあることが分かったので。
でも、最大の問題は日本語でした苦笑
AAJでガス漏れ発生!?
高校を卒業して、日本へ留学するまでの2年間は、マラヤ大学の予備教育機関Ambang Asuhan Jepun(AAJ)で文字通り朝から夜まで勉強しました。最初の1年は、日本語と、各学科を英語で教わりました。2年目は同じ学科を、今度は日本語で学びました。
いま振り返っても、当時の自分は、よく頑張ったなと思います。想像してみてください、全く知らない言語を一年間勉強しただけで、翌年はその言語で専門的な内容の勉強をするのですから。
そんな訳でAAJでの二年間は、勉強はとても大変でしたが、楽しい思い出もたくさんあります。ある日、岐阜県出身のタムラ先生が、パニックになって「大変だ、大変だ!」「これ、ガス漏れじゃないのか?!」と学内を右往左往。
何てことはありません。クラスメートの一人がおやつにドリアンを教室に持ち込んでいたのです。これには、もうみんな大爆笑。いまでも思い出し笑いをしてしまうほどです。

日本の留学先は、北海道大学農学部応用生命学科。後に卒業論文の指導をしてくださった教授に引っ張っていただいたかたちです。
やはり最初は、日本語が難しかったですね。まるで中学生が大学で勉強するようなレベルでしたから。それでも日本人のクラスメートや、留学生、特にインドネシアからの留学生が同じ研究室にいたので、色々助けてもらいました。
卒論のテーマは、「バチルス・チューリンゲンシス(BT)菌がコナガに与える影響」でした。BT菌は殺虫剤にも使われます。マレーシアに帰国後にヤクルトに入社。入社後に、菌は菌でも、腸内細菌について学び直しましたが、北大での研究は、いわば原点です。
ドラマ、カラオケ、カミヤマさんの存在
勉強漬けの毎日でしたが、気晴らしは友達と出かけて、美味しいスイーツを食べたり、おしゃべりをしたしり、一緒にカラオケに行ったり。
カラオケや日本のドラマを見ることは、単なる娯楽に止まらず、私の日本語力の向上にも大いに役立ちました。これはきっと、どの言語を学ぶ上でも同じことが言えるかもしれませんが。
そして、北海道での私の生活を支えてくれたカミヤマさんの存在は大きかったです。最初は、外国人に着物を着せるのが好きなおばさん、という感じでしたが、次第に色々な相談にも乗ってもらうようになり、いわば日本のお母さん的な存在でした。マレーシアの両親に代わり、大学の卒業式に出席してくれたほどです。
知ってもらいたい!好きになってもらいたい!
北大卒業後、マレーシアに帰国。外資系企業に就職して2年ほどが経った頃、ヤクルトがマレーシアに進出することになり、広報と科学分野の担当をする社員の募集広告をみました。マレーシアで展開する日本の会社ということと、自分の専門性が活かせる、と直感的にご縁を感じて応募しました。

2004年のヤクルトの工場オープニングから、今日まで、マレーシアの人々にヤクルトを知ってもらいたい、好きになってもらいたいの一心で働いています。実際、私自身、ヤクルトを飲み始めて便秘が解消されたこともあります。仕事にもっと活かしたいと思い、仕事をしながら腸内環境を専攻として修士号を取りました。
2021年12月には、マレーシアのデフ・サッカー(聴覚に障がいのある選手で行うサッカー)チーム「マレーシア・デフ・タイガース」のデフリンピック出場に向けた遠征費捻出のためのチャリティー・マッチを主催しました。広報担当としては、今後もこうした社会貢献活動も積極的に開催できればと思っています。
先ずは、日本に行ってみて欲しい!
少しでも日本に留学を考えている人に伝えたいことは、先ずは日本に行ってみて欲しいと言いたいですね。日本での勉強も生活も大変です。でも経験する価値は十分あります。日本には心の優しい人がたくさんいます。マイナス要素は何もありませんから。」
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