マレーシアのみなさんに聞いてみました #2
令和4年3月21日


朗報は忘れた頃に...
「2021年10月末に国際貿易省(MITI)が、東方政策40周年の公式ロゴ・デザインを募集していることを知り、すぐに社内でチームを立ち上げました。検討した結果、応募作品のコンセプトは、マレーシアと日本をつなぐもの。デザインは、シンプルなもの。
目指すコンセプトがはっきりしていたので、デザインは4日間で完成しました。マレーシアと日本の国旗の色を、切れ目のない、一つの流れのようにすることにより、両国の関係性、交流やつながりを表現しました。
普段から色々なコンペに応募していますが、採用されなかった場合、主催者側からの連絡はありません。この東方政策40周年の公式ロゴのことも、他の仕事に追われていたこともあり、応募したことをすっかり忘れていました。
そんな頃、MITIから自分たちのロゴが採用されることになったと電話を受けました。本当に嬉しいサプライズでした。
姉のアドバイス
グラフィック・デザイナーになることは学生の頃からの夢でした。自分のデザインが、商品のパッケージやポスターになって、人々に楽しんでもらえたら素敵だなと思っていました。
高校卒業後、マレーシアでデザインの学校に通っていました。あるとき姉が、こんなことを言ってくれました: 日本に行ってデザインの勉強をしてみたらどうか。留学費用や生活費は自分で工面しながら勉強することになるけど、きっと将来の糧になるから、と。いわゆる「若い内の苦労は買ってでもしろ」ってことですね。姉のアドバイスには、心から感謝しています。
ないないづくし、から得たもの
1990年に初来日、初めての外国でした。日本での5年間は千葉県市川市本八幡に住みながら、最初の2年間は、市川市内にある日本語学校に通い、残りの3年間は、東京の御茶の水美術専門学校でデザインの勉強をしました。
昼間は学校に通いながら、夜はアルバイト。しかも外国。最初のうちは知り合いもいない。家族もいない。週末にちょっと実家に帰るなんてこともできない。いまみたいにスマホもない、LINEも WhatsAppもない。インターネットもEメールさえもない時代です。
日本留学中は、忙しく大変だったけど、辛かったという記憶はないです。とにかくデザインの勉強が楽しかった。そして、休日に日本人や他の国の友人たちと一緒に過ごす時間が楽しかったですね。
何も考えるな!
日本留学当時、世界中で大人気だった「ウォークマン」のデザイナーの方2名による3ヶ月間の講義を受講する機会に恵まれました。私のデザイナー人生の原点といっても過言ではありません。
教わった中でも特に「新しいものを作る時は、何も考えるな」、は私の座右の銘でもあります。あれこれ考えてしまうと、つい自分ができる範囲の中だけでデザインをしがちです。それでは新しいものは何も生まれません。
まずは自分がしたいことをイメージしてみる。次にそのイメージに近づく方法を探す。できる、できないは考えない。限界を決めてしまうことは、可能性の芽を摘んでしまうことになります。
日本×マレーシアのハイブリッド
マレーシアには1995年に帰国しました。帰国後、3年間はデザイン関係の会社に勤め、その後、2年間はフリーランスのデザイナー。2000年に今のデザイン事務所を立ち上げました。
日本で学んだことは、そのままではマレーシアで通用しません。日本で培った技術を土台として、マレーシアのマーケットのニーズに合ったものを作り出しています。
マレーシアで事業を展開している日系企業からの依頼もお受けしています。街中で自分がデザインしたパッケージやポスターを見ると嬉しいですし、それが日本の会社だったり、日本に関係する商品だったりすると、感慨もひとしお。もう20年も前なのに、その都度、日本に留学していた頃を思い出します。
やってみよう!
私は日本に留学をすることによって、人から聞いている、あるいは映像でみる「日本」ではなく、自分自身の経験に基づいた「日本」を知っています。経験に勝る知識はありません。
これから日本に留学することを考えている人に伝えたいことは、自分で経験して欲しい、です。そして、前にも述べたとおり、何も考えない。行きたければ行ってみよう。やってみたければやってみよう。こうすることによって、自ずと道は開けてきます。
日本での経験は、自分の人生にとって必ずプラス・アルファになるし、自然と幅広い視点から物事を見たり、判断をすることができるようになると思います。」
「2021年10月末に国際貿易省(MITI)が、東方政策40周年の公式ロゴ・デザインを募集していることを知り、すぐに社内でチームを立ち上げました。検討した結果、応募作品のコンセプトは、マレーシアと日本をつなぐもの。デザインは、シンプルなもの。
目指すコンセプトがはっきりしていたので、デザインは4日間で完成しました。マレーシアと日本の国旗の色を、切れ目のない、一つの流れのようにすることにより、両国の関係性、交流やつながりを表現しました。
普段から色々なコンペに応募していますが、採用されなかった場合、主催者側からの連絡はありません。この東方政策40周年の公式ロゴのことも、他の仕事に追われていたこともあり、応募したことをすっかり忘れていました。

姉のアドバイス
グラフィック・デザイナーになることは学生の頃からの夢でした。自分のデザインが、商品のパッケージやポスターになって、人々に楽しんでもらえたら素敵だなと思っていました。
高校卒業後、マレーシアでデザインの学校に通っていました。あるとき姉が、こんなことを言ってくれました: 日本に行ってデザインの勉強をしてみたらどうか。留学費用や生活費は自分で工面しながら勉強することになるけど、きっと将来の糧になるから、と。いわゆる「若い内の苦労は買ってでもしろ」ってことですね。姉のアドバイスには、心から感謝しています。
ないないづくし、から得たもの
1990年に初来日、初めての外国でした。日本での5年間は千葉県市川市本八幡に住みながら、最初の2年間は、市川市内にある日本語学校に通い、残りの3年間は、東京の御茶の水美術専門学校でデザインの勉強をしました。
昼間は学校に通いながら、夜はアルバイト。しかも外国。最初のうちは知り合いもいない。家族もいない。週末にちょっと実家に帰るなんてこともできない。いまみたいにスマホもない、LINEも WhatsAppもない。インターネットもEメールさえもない時代です。
日本留学中は、忙しく大変だったけど、辛かったという記憶はないです。とにかくデザインの勉強が楽しかった。そして、休日に日本人や他の国の友人たちと一緒に過ごす時間が楽しかったですね。
何も考えるな!
日本留学当時、世界中で大人気だった「ウォークマン」のデザイナーの方2名による3ヶ月間の講義を受講する機会に恵まれました。私のデザイナー人生の原点といっても過言ではありません。
教わった中でも特に「新しいものを作る時は、何も考えるな」、は私の座右の銘でもあります。あれこれ考えてしまうと、つい自分ができる範囲の中だけでデザインをしがちです。それでは新しいものは何も生まれません。
まずは自分がしたいことをイメージしてみる。次にそのイメージに近づく方法を探す。できる、できないは考えない。限界を決めてしまうことは、可能性の芽を摘んでしまうことになります。
日本×マレーシアのハイブリッド
マレーシアには1995年に帰国しました。帰国後、3年間はデザイン関係の会社に勤め、その後、2年間はフリーランスのデザイナー。2000年に今のデザイン事務所を立ち上げました。

マレーシアで事業を展開している日系企業からの依頼もお受けしています。街中で自分がデザインしたパッケージやポスターを見ると嬉しいですし、それが日本の会社だったり、日本に関係する商品だったりすると、感慨もひとしお。もう20年も前なのに、その都度、日本に留学していた頃を思い出します。
やってみよう!
私は日本に留学をすることによって、人から聞いている、あるいは映像でみる「日本」ではなく、自分自身の経験に基づいた「日本」を知っています。経験に勝る知識はありません。
これから日本に留学することを考えている人に伝えたいことは、自分で経験して欲しい、です。そして、前にも述べたとおり、何も考えない。行きたければ行ってみよう。やってみたければやってみよう。こうすることによって、自ずと道は開けてきます。
日本での経験は、自分の人生にとって必ずプラス・アルファになるし、自然と幅広い視点から物事を見たり、判断をすることができるようになると思います。」